ネット上に情報が出回ってしまうと、すべて消すのは容易ではありません。

拡散されると、プライバシーや名誉にかかわる問題を引き起こす可能性もあります。

そのためヨーロッパでは、“忘れられる権利”という概念が生まれました。

これは、ネット上に出回っている過去の情報を削除し、個人のプライバシーを守るためのものです。

しかし、適用範囲などに関して、多くの議論がなされています。

今回の記事では、そんな“忘れられる権利”とはどのようなものか、意義や事例などご紹介します。

 

そもそも“忘れられる権利”とは?

“忘れられる権利”は日本国内でまだまだ浸透していない権利です。

そこでまずは、“忘れられる権利”とはどのようなものか、その概念や起源からみていきましょう。

 

“忘れられる権利”の概念について

“忘れられる権利”は、EU法で初めて提唱された権利です。

インターネットを使う個人ユーザーがこれまでの情報を削除または非表示にできるというものです。

インターネットやデジタル技術の進化に伴い、情報がネット上に公開されると半永久的に残るようになりました。

情報の中には過去の失敗や不適切な行動、誤解を招く書き込みなども含まれます。

それらの情報を削除したり非表示にできたりすれば、ネガティブな影響を及ぼしにくくなるため、注目されるようになってきたのです。

 

“忘れられる権利”が広まったきっかけ

“忘れられる権利”が広まったのは、2011年にフランスで行われた裁判がきっかけです。

Google社を相手取り、ネットに投稿された映像の削除を求めた裁判になります。

結果は原告が勝利して、削除が認められました。

削除が認められたことで、“忘れられる権利”に関する議論は世界的に活発化しています。

しかしこの考え方は新しい概念なので、適用される範囲や限界値などに関する議論はいまだに続いています。

なぜなら、情報の自由とプライバシーポリシー保護の複雑なバランスを取らなければいけないためです。

また、デジタル情報は永続性があるので、“忘れられる権利”は今後さらなる発展を遂げる必要があります。

どのような発展をするのか、はたまた衰退してしまうのかはインターネットの行く末を左右するポイントになるでしょう。

 

“忘れられる権利”の法的な背景と意義について

続いては、“忘れられる権利”の法的な背景と意義について深堀していきましょう。

 

法的な背景について

この権利は、ヨーロッパにおける個人データ保護法の一環として確立されたものです。

2014年に欧州司法裁判所で定義され、2016年に施行された一般データ保護規則(GDPR)で具体的になりました。

GDPRには、特定の条件下において個人データを処理している企業や団体に対し、データの削除を要求する権利を持つという内容が盛り込まれています。

データ自体が目的を果たさないケースやデータに関する同意の撤回を行ったケース、法的な義務に基づくケースなども含まれています。

しかしGDPRによる“忘れられる権利”は、絶対的な権利ではないので、他の権利や利益とのバランスを考えなければいけません。

表現の自由に基づくデータや法的な義務を果たすデータ、交易のために公開されている情報などは、他の権利や利益を優先する可能性が高いです。

つまり、“忘れられる権利”が適用されるかどうかというのは、それぞれのケースによるとしか言えません。

 

意義について

インターネットは、情報の永続性や利便性が高まり、かなり前の情報も検索すれば簡単に見つけられます。

一見するとかなり便利だと思われがちですが、一人ひとりのプライバシーや社会的評価に良くない影響を及ぼす可能性も大いにあるのです。

“忘れられる権利”には、良くない影響を及ぼす可能性がある情報で現在や未来の状況が左右されることを防ぐという目的もあります。

それぞれの自己決定権やプライバシーの保護に関する重要な役割を持っていることがわかるでしょう。

情報が古くなった場合、既存の情報に現状を反映できていない場合、情報が一部しか公開されていない場合などは、誤った印象を与える可能性が高くなってしまいます。

そうなることを防ぐためにも、重要な権利と言えます。

しかし、前述したように完璧な権利ではないため、法的義務や情報の自由などとのバランスを考えなければいけません。

このことから“忘れられる権利”は、特定の状況のみに適用されるものという見方ができます。

 

“忘れられる権利”が認められることのメリット・デメリット

これまでに説明したように“忘れられる権利”は、絶対的な権利ではないため、適用される範囲は限定的になる可能性が高いです。

それでは享受できるメリットは少なく、デメリットが多いように感じてしまうかもしれません。

一見するとそのように見えてしまいますが、“忘れられる権利”が認められることのメリットももちろんあります。

続いては、どのようなメリット・デメリットがあるのかみていきましょう。

 

メリット

“忘れられる権利”が認められた場合、過去の知られたくない出来事を第三者に知られにくくなります。

プライバシー権を保護するための有効な権利だと言えます。

ネットで名前を検索した時に、過去の犯罪歴が見つかり、就職や転職が難しくなってしまうといったケースもないとは言い切れません。

“忘れられる権利”に基づいてネット上から犯罪歴などネガティブな情報を削除できれば、社会的な信用の失墜を防ぎ、活躍の機会が奪われることを防げます。

また、不祥事を起こしたり、性産業に従事したりしていた過去をネット上から消すことを望んでいる人もいます。

削除できれば、過去と決別でき、前向きに人生を歩めるようになる可能性が高まるでしょう。

 

デメリット

デメリットには、削除された情報を知りたいと思っている人が持つ知る権利を奪うことが挙げられます。

憲法21条1項で「表現の自由」が保証されていて、言論や芸術などの表現活動を行うための情報を得る必要があると考えられています。

しかし、“忘れられる権利”によって知りたい情報が見つからなくなってしまうと、「表現の自由」に制約があると思われてしまう可能性が出てくるのです。

また、政治家に関する情報や国政・地方自治に関連する情報は、国民の知る権利が保障されています。

そのため、政治家の汚職事件に関する情報を削除すると、国民が持つ知る権利を制約することになりかねません。

これらのことを踏まえて考えてみると、国民が持つ表現の自由や知る権利が不当に制約される可能性がある点がデメリットだと言えるでしょう。

 

日本国内ではどう扱われている?

“忘れられる権利”が日本国内でどのように扱われているのか気になる人もいるでしょう。

そのため続いては、日本における扱いについて解説していきます。

 

日本の情報保護に関する法律は2017年に改正された個人情報保護法が中心となっています。

しかし、“忘れられる権利”に関する規定は明記されていません。

それでも個人情報保護法には、利用目的外利用の制限や開示要求、訂正等要求、利用停止等要求といった内容が盛り込まれているので、これらを駆使すれば“忘れられる権利”を実現できるでしょう。

利用目的外利用の制限は個人情報をあらかじめ公表している利用目的を超えて利用することを禁じています。

そして開示要求・訂正等要求・利用停止等要求は、開示や訂正、削除、追加、利用停止、第三者への提供停止を要求することを保証するものです。

“忘れられる権利”と基本的な部分は合致しています。

ただし、ネット上にある情報をすべて削除するという視点から見ると、制限があると考えられます。

適用対象に関しても、事業者となっているので、一般ユーザーの取り扱いに関しては規制範囲外となってしまうので注意が必要です。

違法に個人を誹謗中傷する内容に関しては、プロバイダ責任制限法に基づいた削除申請ができます。

しかし、手続きをするには一定の条件をクリアしなければいけないので、簡単ではありません。

 

“忘れられる権利”は、日本国内でも議論の対象になっています。

現行の法制度では制限があるため、今後はさらに活発な議論が行われ、法制度が進化することに期待しましょう。

 

“忘れられる権利”にはどのような事例がある?

“忘れられる権利”に関する事例も確認しておくと、理解を深めやすくなります。

そこで最後に、2022年6月24日に最高裁の第二小法廷で出された判例をご紹介します。

2017年1月31日の最高裁第三小法廷ではGoogle検索結果の削除が認められていませんでした。

その概要は以下のとおりです。

 

事件の内容

旅館の女性用浴場の脱衣所に侵入したA氏に、建造物侵入罪による罰金刑が課せられました。

罰金をすぐに納付しています。

A氏が逮捕されたことは、その日のうちに報道されていて、マスコミのサイトにも掲載されていました。

掲載された日のうちに、匿名のアカウントでツイートがあり、マスコミの報道リンクも貼られていたのです。

その後、マスコミのサイトから記事は削除されています。

しかしツイートは消されていなかったため、A氏の名前と住所で検索すると逮捕された時の情報が出てくることに気が付きました。

そこでA氏は2015年に削除の仮処分も仕立てを行いました。

一審のさいたま地裁は、一定期間が経過したら社会から忘れられる権利があるとして、削除を認めるという決定を下しています。

しかし東京最高裁は、“忘れられる権利”は法的に定められているわけではなく、要件なども明確でないという理由から一審の判決を取り消してしまいました。

 

最高裁によって示された“忘れられる権利”の判断基準について

最高裁では、これまでの判例を踏襲し、個人のプライバシーに関する事実をみだりに公表されない利益が法的保護の対象になるという判断を下しました。

一方、検査事業者が提供する検索結果は現代社会において情報流通の基盤になっていること、検索結果を削除することが役割の成約につながる可能性があることも指摘しています。

このような点を踏まえ、最高裁は当該事実が公表されないことで生まれる法的利益が検索結果として提供する理由よりも優越する場合に削除の請求ができるとしました。

比較する際に考慮すべき点として、最高裁は以下のような内容を挙げています。

 

当該事実の性質や内容

URLなどの情報が提供されることによって、本人のプライバシーに関連する事実が伝わる範囲

URLなどの情報が提供されることによって、本人が被る具体的な被害の程度

本人の社会的地位・影響力

リンク先の記事などが持つ目的や意義

リンク先の記事などが掲載されていた時の社会的状況やその後の変化

リンク先の記事などにおける当該事実を記載する必要性 など

 

その後の経過

2017年1月31日の判決では、削除が認められませんでした。

しかし2022年6月24日に最高裁の第二小法廷では、ツイートの削除が認められています。

逮捕から8年経過していてマスコミの報道記事が削除されていること、問題のツイートは速報が目的だと考えられること、A氏を知る人が逮捕の事実を知るかの性があること、などの理由から、削除が認められました。

 

日本国内における“忘れられる権利”の位置付けはどうなっている?

日本国内における“忘れられる権利”の位置付けは、さいたま地裁の決定を除き、裁判所などで認められるケースは稀です。

日本では個人情報に関する権利はプライバシー権に包括されているものだとみなされています。

プライバシー権を侵害したという理由で差し止めや賠償請求が行われたケースも少なくありません。

しかしそれらは、報道や出版といった形で行われるのが一般的となっていました。

過去の犯罪前科を出版したとして、賠償を認めた事例もあります。

つまり、報道や出版といった形以外において認められるケースは、現状だと極めて少なくなると想定できます。

このことから、日本国内における“忘れられる権利”はまだまだ発展途上であることに間違いはないでしょう。

 

まとめ

“忘れられる権利”という概念は、ヨーロッパで生まれたものです。

インターネットを使う個人ユーザーがこれまでの情報を削除もしくは非表示にできるので、誰かに知られたくない情報がある場合に役立ちます。

ネット上の情報は拡散されると消すのが難しくなりますが、この権利を活用できればさらなる拡散を防ぐことにつながります。

そのため、犯罪歴があるなど悩みを持つ人にとって有益だと言えるでしょう。

しかし、ヨーロッパでは浸透しつつありますが、日本国内ではまだまだ認知度が低いです。

そのため、 “忘れられる権利”と法律のバランスを取った制度作りを望む声も聞かれるようになっています。